これまでに2回HSPの記事、(HSPのトリセツとストレスフルな毎日を生き延びる方法)を皆様にお届けして参りました。今回は私がHSPと気付いたきっかけや、幼少期はどのような子どもだったのか、実際の五感の感じ方などについてお話をしていこうと思います。
私って「HSPかも・・・」と気付いたきっかけ
私は以前ビジネスホテルにてフロントの仕事をしていました。私が働いていたホテルは1日に平均100名、多い時には200名のお客様が来館し、フロントは2名体制でチェックイン業務に当たります。必然的に毎日100名以上のお客様と相対する機会がある生活を送っていました。
ホテルのチェックイン業務は決して難しいものではなく、宿泊者カードに必要事項を記入して頂き、宿泊代を頂戴するという簡単なもの。この作業を延々と繰り返します。しかし、単純な仕事内容であるにも関わらず、お客様がフロントに向かって歩いてくる姿、足音、立ち振る舞い、オーラ、そして受け答えの姿勢、声色、お金をやり取りするときの差し出し方や受け取り方などからそのお客様の気持ちや感情を感じ取ってしまい、来館の足が途絶える夜になると、どっと疲れていました。
業務時間が終わり、更衣室で着替える時にはぐったりとしてしまいご飯を食べる気力もなく「早く家に帰りたい。布団に戻りたい」と思う日常を過ごしていました。一方、仕事終わりの同僚や先輩たちを見回してみると「これから飲みに行こう」など早く羽を伸ばしたいと言わんばかりに元気いっぱいの様子。その姿を見るたび、『私はどうしてこうも疲れやすいのだろう』と思い悩み、滋養力をつけるため養命酒を飲んでみたり、疲労回復の効果を狙ってアミノ酸のサプリメントを飲んでみたり、栄養価の高いものを食べたりなどして対策をしていましたが、高い効果を感じられるものはありませんでした。
そんな中ある日、仕事帰りの電車の中の広告にふと目をやると『ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ。 (SB文庫)』と言うHSPに関する書籍の広告が目に留まりました。当時、HSPは今のように「繊細な人」や「感受性の強い人」などという配慮のある言われ方は浸透しておらず、「動揺してしまう人」や「仰天してしまう人」という呼ばれ方をしていました。その中吊り広告が気になった私はその本を手に取り、読むことにしました。それが私とHSPとの出会いになります。
HSPと気付いて納得した生きづらさ
早速HSPの診断項目に取り掛かってみたところ、なんと、ほとんど全ての項目に当てはまってしまったのです。そこで初めて「あぁ、私はHSPなのかも知れない」と自覚するようになったのです。それと同時にこれまで散々悩んできたことも「HSPのせいだったのか」と少し救われたような気持ちになったことを覚えています。(HSPのセルフ診断はこちらから。参考:http://hspjk.life.coocan.jp/selftest-hsp.html)
例えば、『カフェインに敏感に反応する』ですが、私はコーヒーや紅茶、日本茶などカフェインの入ったものを飲むと、動機や吐き気、めまいを催します。カフェインは頭痛薬や炭酸飲料など多くの物に含まれており、きちんと成分を見てからではないと口に入れることが出来ません。カフェインに関しては、営業の仕事をしていた時に出先でコーヒーを頂く機会が多かったのでとても辛かったです。
また、『空腹になると、集中できないとか気分が悪くなるといった強い反応が起こる』に関しても、私はとてもお腹が空くと手が震えたり、吐き気を催したりして、お腹が空いているのに食べられない(食事が喉を通らない)というジレンマに襲われます。大人になった今は自分の空腹感をコントロール出来るようになりましたが、10代の頃はお昼が近づいてくると胃がムカムカし、空腹だけれども気持ち悪くてご飯(給食)を食べられず、午後も体調の悪さが続く、という学生生活を送っていました。
『痛みにとても敏感である』に関しても、私は痛みに敏感であるが故に自分の体調を過剰に気にしてしまうという悩みをずっと抱えていました。大学生の頃、親しい友人と海外へ行くことになったのですが、組まれたスケジュールを見て「毎日こんなに短い睡眠時間で体調を崩さないのだろうか、毎日目一杯楽しめるのだろうか」と不安に思い、少しどこかで休憩を入れようと友人に相談したところ、「そんな自分の体調を心配するなんて、考えすぎだよ。行けば楽しめるって」と受け入れてもらえませんでした。海外旅行中は都度理由をこしらえ、1人で行動する時間を作ったことで自分のペースを取り戻すことが出来、楽しく旅を終えることが出来ました。
このように、「どうして私は人と同じように生活をすることが出来ないんだろう」「どうしてこうもいろいろ考えすぎてしまうんだろう」と思いながら生きてきました。その答えがようやく見つかったのです。
自分ではなく他の誰かが気になっていた幼少期
ここで私の幼少期について少し触れてみようと思います。
HSPの診断テストの中の一文に『子供のころ親や先生は、わたしのことを繊細あるいは内気だと思っていた』とありますが、私も例外ではなく、「いつもうじうじして」や、「もっとハキハキしなさい」としつけられていました。今でこそ、このように自分の思いを文章にまとめたり、意見を求められた際には発言することができるようになりましたが、学生時代は人前で意見を述べることはほとんどありませんでした。
家族とだけ接していた私が、幼稚園や小学校へ入学し、他の人たちと接するようになると、他人の様子を気にし始めるようになりました。ここで言う「他の人が気になる」というのは自分と他の誰かを比較し、何かを感じるということではなく、自分以外の他の人が苦しそうにしていたり、困ったりしている様子を見ているのが放っておけないという意味合いが大きいと思います。
また私は、人と関わり始めた時期(幼稚園や小学校低学年の頃)、いつも好きではない男の子に好意を寄せられることが多かったように思います。 何かに手間取っている人や困っている人を放っておけず一緒に行動したり、話を聞いたりすることが多く、 相手の男の子からは「優しくしてもらえた」と思われることが多かったのかも知れません。
そんな困っている人を見ては私も同じように困ったような気持ちになったり、ふさぎこんだりするようになったのです。そんな私を見かねた母は「○○ちゃんと付き合うのはやめなさい」とか「○○くんと一緒に遊ぶのはやめなさい」などと私の友人関係に制限をかけるようになりました。
HSPの人たちは五感でどんな刺激を感じているの?
HSPの人たちは五感をフルに使い、通常の人は感じ得ない様々な刺激を受け取ります。ここでは私が日常感じやすい刺激についてお話していこうと思います。理解に苦しむ表現もあるかと思いますが、ご容赦下さい。
視覚
曇りでも「眩しいな」と感じてしまうことが多く、常にサングラスを持ち歩いています。サングラスは遮光の目的と他人の視線をあまり感じないようにする目的、街の看板の色彩を歪めるためにも重宝しています。蛍光色が苦手というHSPの方もいらっしゃいますが、私は平気です。
聴覚
幼い頃から音楽に親しんできたこともHSPと相まって、聴覚は鋭いと自負しています。日常で聞こえる音はすべて立体となり、あたりに漂っている感覚です。オーケストラなどは音の束のうねりが見えて、聞こえます。様々な音を無意識に拾ってしまうため、何かに集中するのが時に難しく感じます。就寝中などでも遠くのサイレンの音に気付き、起きてしまうことがしばしばあります。
触覚
衣類の肌触りなどに関してはあまり気にしませんが、足の裏から感じる感覚には敏感です。特にプールやお風呂上がりなど足の裏が濡れている状態で歩くという行為が苦手です。(衛生状態などが気になるのではなく、足の裏が濡れている状態を気持ち悪いと感じます)靴の中敷きなども紙製のものを使い、ベタつかないことを優先させます。ハイヒールなどはヒールの細さや、履いているうちに釘が出て来てコンクリートに当たる感覚などが気になってしまうので最近はヒールを履くのをやめ全てスニーカーにしました。
味覚
辛いものが苦手、というHSPの人もいますが、私は香辛料は問題ありません。しかし、キウイやマンゴー、パインなど南国で採れるフルーツは刺激が強いと感じるため苦手です。(食物アレルギーではありません)薄味で素材の味を楽しむのが好きです。
嗅覚
嗅覚からの刺激は人並みだと感じますが、香りの刺激が苦手というよりも、反対にどんな匂いでも嗅ぐことが出来ると言えるかも知れません。夏場になると人やペットの体臭が気になって仕方ないというHSPの人がいますが、私は反対に「人間も動物らしいな」と思うくらい寛容です。匂いでお腹いっぱいになることも。
第六感
HSPの人は直感などを含む第六感を感じる人が多いと感じます。私もその場の空気を感じて興奮したり動揺したりすることがしばしばあります。好きなアーティストのライブの幕が上がる時に感極まって泣いてしまったり、スポーツ観戦の際にはスタジアムの熱狂に溶け、我を失ってしまう感覚を感じたりします。
印象的だったのは2016年に井の頭自然文化園で飼育されていたゾウのはな子が亡くなった時に設けられた献花台に訪れた際に、多くの人の思い(「これまでにはな子は多くの人に勇気を与えていたんだな」とか「はな子は本当に愛されていたんだな」とか飼育員の方の思いなどを)が沸き上がり、号泣してしまったことです。しばらくその場から動けなくなってしまうほど、感動の涙なのか悲しみの涙なのか、うまく言葉に出来ませんがとても動揺してしまいました。
他にも場所から受け取るエネルギーには敏感で、観光地とされ多くの人が訪れている寺院や景色でも多くの思いを感じてしまい気分が悪くなったりすることがあります。それ以外にも気持ち悪いと感じる場所は以前処刑場だったということが判明したり、逆に綺麗だなと思う場所が実は投身自殺が多い場所だと判明したりすることがありました。私はスピリチュアルなどを盲信するタイプではありませんが、少なからず理屈では説明出来ない現象はあるなと身を以て感じています。
精神疾患とHSPの違い
このように私は日々、様々な刺激を受け、それに反応し、 感情が揺さぶられ深く考え込んでしまう毎日を送っています。HSPという言葉に出会う前は、統合失調症や適応障害、心身症など何か精神疾患があるのではないかと疑うこともありました。実際に高校生の時には自律神経失調症と診断され、カウンセリングなども受けましたが、地に足が着いたような感覚にはなり得ませんでした。
精神疾患の症状とHSPで起こり得る症状は酷似していますが、似て非なる点もあります。それは、HSPの症状はある日突然発症するではなく、昔からずっと(気付いたら)このような状態だったという点でしょう。
HSPの人たちが生きづらさに思い悩み、精神科医などに相談したとしても、薬などが処方されるわけではなく、この生まれ持った気質とうまく付き合いながら生きていくことが求められているところがHSP気質を持っている人が感じる辛い点ではないでしょうか。
次回は私がこのHSPの気質とどのように付き合い、日常を生きているかについて解説していこうと思います。