人工呼吸器や胃ろう等を使用し、たんの吸引や経管栄養などの医療的ケアが日常的に必要な医療的ケア児。
医療的ケアが必要な子供達はまだ日本に約18000人しかおらず、その児童と家族は必要な情報や仲間に出会うことが難しい場合もあります。子育て中心の生活となり育児をする家族(主に母親)は、孤独感を感じながら毎日を過ごすことがあります。
今回は医療的ケア児を育てる私が、どうやって社会との繋がりを作っていったのかをお話していきます。
繋がりが持てず孤独な日々
娘が初めに医療的ケアが必要になったのは生後5ヶ月の頃、お鼻から胃にチューブを通す経鼻経管栄養でした。その頃入院していた都立病院では他に医療的ケアが必要な子供はおらず、自分の子供以外で医療的ケア児を見た事はありませんでした。
ある日突然、医療的ケアが必要になった娘を見て「苦しくないのか」「退院したらどんな生活が待っているのか」と疑問と不安がたくさん浮かんできました。しかし、当時の私は付き添い入院中で患者会などのイベントには参加する気持ちにはなれませんでした。またネットでどれだけ検索しても、ほしい情報には辿り着くことはできませんでした。
同じ病気のママのブログに救われる
私が医療的ケア児や病気と戦う家族と繋がった最初のきっかけはブログでした。といっても、初めは他のママが書いたブログをただ読むだけの日々からのスタートです。
そんな状態で毎日手探りで治療に向き合ううちに、娘が「点頭てんかん」という小児特有の珍しいてんかんを発症します。このてんかんは、発作を起こす度に発達が後退していくことが特徴で、隔離部屋で毎日注射を打ったり、食事を極端に制限するなど辛い治療が必要でした。
我が家は2ヶ月の隔離治療を行いましたが、治療が終了した1週間後にてんかんが再発してしまいます。その時の絶望は言葉に出来ないものでした。
「もう一回同じ治療しましょう」とドクターに言われた時、私はこれ以上の治療を行うなら専門性の高い病院で行いたいと思い、再びネットで情報を探し始めました。ネットで検索を繰り返しているうちに、転院を検討していた病院で娘と同じてんかん治療を行なったママのブログに辿り着きました。
細かく治療の経過や心情を綴ったブログを読むうちに涙が溢れて止まりませんでした。
そしてそのブログを通して、転院先の病棟の雰囲気や看護師さんの対応・医師の治療方針などを知ることができ、転院を決断しました。こうして一方通行ではありましたが、他の家族の存在を知り「一人じゃないんだ」と思えるようになっていきました。
ブログで発信する
同じ症状の児童をもつママのブログで転院のすることを決めた私は、自分も今の状況を発信する事で誰かの役に立てるかも…とブログを開設しました。病名不明の娘の遺伝子検査や治療の経過・付き添い入院の様子を綴り続けました。
すると、全国の病気と闘う家族や娘の治療を応援してくれる人達とコメント欄を通して交流が深まっていきました。
一度も会ったことない娘のために、ぶどうや絵本を送ってくれたり、少し更新があくと「大丈夫ですか?」と心配してくれたりと孤独な入院生活を随分と支えてもらいました。
転院のきっかけになったママにも、自分がブログをはじめた事でメッセージを送る勇気が持て、そのメッセージをきっかけに県外からわざわざ会いに来てもらうことができました。
入院中や子供の状態が安定しないうちは、外出が難しく友達を作りづらい環境にあると思います。こうやって、ブログなどを通して繋がっていく事もお勧めです。
イベントに参加する/開催する
ブログを通して情報交換と仲間作りができた私は、次に身近なママ達との交流に目を向けて行きました。私の病院は医療的ケア児は付き添い入院が必須で、常に4-5人のママが病棟で寝泊りをしていました。
まずは隣のベッドのママと、色んな話をする事を意識しました。院内では、ママ達の会話もつい子供の事ばかり….
あなたは何が好きなの?どんな人生を送って来たの?やりたいけど今我慢してることは?そんな事を話しながら、お互いの趣味を一つずつ教え合う時間を大切にしました。
あるママからは写真集をたくさん借りて、次のママからは編み物を教えてもらって、次の次のママからは楽器を習うなどを繰り返しました。
そんな生活を送っているうちに、新しいことにチャレンジしたい!という意欲が出て来て、院内を可愛く飾りつけしたり、点滴シールを消しゴムハンコで可愛くアレンジする教室を開いたり、輪がどんどん広がっていきました。
その繋がりは今でも続いていて、入院中は病室まで遊びにきてくれて、退院したら皆で企画したイベントに家族で参加する。そんな関係が私の生活を支えてくれています。
このイベントでは毎回新しい家族が参加してくれ、「初めてこんなに医療的ケア児家族がいる場所に来ました」と言いながら楽しい時間を一緒に過ごしています。
子供との生活に少し余裕が出てきたら、交流会に参加したり、地域の療育センターやリハビリ施設で出会う家族と、ゆっくり知り合っていければいいと思います。
様々な人と繋がる
最後に、私は同じ病気・状態の子供を持つ家族と繋がるのと同じくらい、全く違う境遇の人との繋がりを持つことがすごく大切だと思っています。
娘は病名が分からず、患者会に入れなかったり、先輩ママに話を聞くなどが難しい環境がありました。一方でそのおかげで、いろんな人にオープンに情報を伝え、少しでも共通点を見つけたり、できる事をサポートしてもらえる体制作りができるようになったと感じています。
健康なお子さんを見ると辛い気持ちになったり、中々状況が理解してもらえなくて歯がゆい思いもします。でも、同じ社会や地域に生きる仲間として、まずは存在を知ってもらうこと。「助けて」と言える関係を作る事は何よりの気持ちの安定に繋がります。
そうやって出来た繋がりで、初めは助けてもらうばかりだった我が家ですが、今では「娘ちゃんに勇気づけられる」「色んなことが学べる」と感謝してもらえる事も増えてきました。私もそんなに社交的な人間ではないですが、医療的ケア児のママが自分に合った方法で繋がりが持ちやすい社会になればと願っています。