聴く=耳を傾け、相手に寄り添いながら聴く。相手の気持ちや心情を理解しようと言葉を聴く。
探求する=あるものを得ようとしてさがし求めること。
わたしたちの周りには、知りたいことが溢れている。
そしてそれと同じくらい、目を向けた先には、溢れんばかりの情報が転がっている。世の中は情報過多だ。
目の前に差し出される、たくさんの「情報」。
その情報は本物なのか。誰が拾ってきて、どう磨いたものなのか。
情報の質や正確性の見極めは、とても難しい。
私たちは、溢れんばかりの情報に触れたとき、何を得て、何を捨てるのか。
適切な判断をしなくてはならない。
「社会的に意義が高い」とひとことで言ったって、それって誰にとっての意義なのだろう。
「社会的に価値がある」って説明されたって、それって誰にとって、どんな価値があるのだろう。
目の前にある情報を、ただ飲み込むのでなく、精査し、噛み砕き、味わって、そして飲み込む。
今、私たちに必要なのは、情報をなんとなく「見る」場所ではなく、「聴く」「探求する」場所だと思う。
私たちは、望むとも望まざるとも、向こうからやってくる情報を取捨選択する、ゲームのような毎日を過ごしている。
人生は、ゲームみたいなものだ。
その中で、情報は武器で、そして宝だ。
私たちは、その旅路を輝かせるために、あくまで「素敵」で「有意義」な情報を、自らの手で、掴みとらなくてはならない。
私たちは、そんなだれかの人生に、寄り添う場所でありたい。
さあ、冒険に出かけよう。